「アートホラー映画」の歩き方

『ミッドサマー』が話題になっている。

21世紀最恐と言われた『ヘレディタリー/継承』のアリ・アスター監督最新作で、白夜のお祭りが開かれるスウェーデンの田舎で起こる出来事に巻き込まれる若者たちを描いた作品。

今作は宣伝がとても上手く、ホラー色を強調した予告編をSNSで話題にさせ、”カップルで観に行くと別れる”などのセンセーショナルな煽り文句を打ち、いざ公開したらホラー色がほぼ無く、ホラーだと思って観に行った人は盛大な肩透かしを食らったことだろう。評価もはっきりと賛否両論だ。

それもそのはず、これは「ホラー映画」ではなく「アートホラー映画」なんだから。怖くないよ。だって「アートホラー映画」だもん。

 

『ミッドサマー』で「アートホラー映画」に初めて出会い面白いと感じた人が更なる沼へと進むとき、また、つまらないと感じた人がまたこの類の映画に出会ってしまったとき、少しでも面白く感じられるための”3つの約束”をこれからお教えしよう。

・ストーリーはあってないようなもの

・出てくるものはすべてメタファー

・映画なんて観るな

この3つを心に刻んでほしい。

ただ、これはあくまでも私の楽しみ方であり、無限にある楽しみ方のひとつでしかない。あなたが作品から感じた思いや感想に間違いはひとつもないし、誰からも責められることはないということを強く言っておきたい。

 

ここからは上の約束を説明していくが、その前にここで言う「ホラー映画」と「アートホラー映画」の違いと定義づけをしておこう(ちなみに「アートホラー映画」とは、私が勝手に言っているだけであり、そのようなジャンルは検索しても出てこないと思う)。

  「ホラー映画」は恐れるべき対象が作品内に存在し、その存在が主人公を襲ってくるという恐怖感を楽しむ作品だ。

それに対し「アートホラー映画」は恐れるべき対象が主人公に内在しており、それを克服するというものが多い。

『ミッドサマー』を「ホラー映画」的視点で観ると、カルト祭りに巻き込まれちゃった!ワオ!となるが、「アートホラー映画」的視点で観ると、突然身寄りをなくした女性が再び心を預けられる場所を探す物語となる。

つまり外面と内面の違いなのだ。自分の外からやってくる得体のしれないものへの恐怖なのか、自分の中に存在するトラウマや真っ黒な気持ちへの恐怖(それが時として主人公目線から怪物として映る)なのかの違いなのである。

この2つの視点のバランスがうまく取れている映画こそ誰が観ても面白い、良い映画であると私は思っていて、「アートホラー映画」的視点に偏ったことが今作の賛否両論の原因なのであろう。

 

「ホラー映画」と「アートホラー映画」の違いは分かっただろうか。ここから本題の”3つの約束”に入る。

 

・ストーリーはあってないようなもの

「ホラー映画」はいつお化けが出てくるんだろう、などのドキドキや、この人はどうなってしまうのだろう、というハラハラがあるため、観ているだけで面白い。そこに重厚なストーリーが絡んできたら最高だ。

それに対し「アートホラー映画」は、こう言ってしまうとアレだが、基本的に話がつまらない。観客が補完しなければならない部分が多すぎる。しかしこれは敢えて作った余白であり「アートホラー映画」には無くてはならない要素なのだ。そういうものだとして受け入れてほしい。

ではなぜそんな余白を作ったのか?それは次の項で触れる。

 

・出てくるものはすべてメタファー

 「アートホラー映画」にはアイテムがよく出てくる。そのアイテムもよくわからないものが多い。なんでそのよくわからん紋章でモンスターが消えるの?みたいな展開がほとんどだ。しかしこれも作られた余白、作品に入り込む余地なのである。

「アートホラー映画」は内側の恐怖を乗り越えるものであり、観客ひとりひとりのトラウマはそれぞれ違うものだ。敢えて余白を多く取ることで、観客がそれぞれのトラウマをその映画と重ねやすくしているのだ。それぞれのトラウマが、それぞれのアイテムによって浄化されていく。そこに具体的な説明が入ってしまうと観客が蚊帳の外になってしまう可能性がある。だからこそ説明を省き、輪郭をぼやけさせているのだ。

観客がその型にはまりに行くのではなく、映画自体が観客それぞれの形になってくれる。「アートホラー映画」は我々を救ってくれるとても優しい作品たちなのである。

 

 ・映画なんて観るな

 「アートホラー映画」は観客に寄り添ってくれる優しい映画だということが分かった今、「アートホラー映画」を楽しむために一番必要なもの、それは日常生活だ。

上ではトラウマと言ったが、重ねるものは日常のちょっとした嫌なことでもいい。もちろん嫌なことの全くない生活が一番良いかもしれないが、嫌なことには必ず出会ってしまうものだ。ふとした一言をなんとなく引きずってしまったり、あのときああすれば、といったような心のつかえを「アートホラー映画」は取ってくれる。

なので「アートホラー映画」を楽しく観るためには、映画なんて観る暇があったらいろいろな人に会って、いろいろな体験をしなければならない。そこで起こった体験があればあるほど「アートホラー映画」はさまざまな形になり、自分の生活に寄り添ってくれる。私はこの理屈が分かっているのに「アートホラー映画」をまだ楽しめていない。映画なんて観るな!

 

 「アートホラー映画」の鑑賞方法が分かっただろうか。

「アートホラー映画」はいわゆる「考えさせられる映画」ではなく「考える映画」なのだ。無理やりにでも自分と照らし合わせて考えることが楽しい。制作側は全く違うことを描いているかもしれない。意味すらないのかもしれない。でも考えだすとたまらない。そんなジャンルだ。

このジャンルはかわいそうなジャンルでもあり、そのわかりにくさから日本での劇場公開はまずない。1年ぐらい経ってからレンタルショップに並びだす。その際につけられる邦題はB級ホラー好きに目掛けてつけられたトンデモ邦題だったりする。それを期待して観た人にはもちろん刺さらず、駄作として忘れられてゆく。

そんな浮かばれないジャンルを『ミッドサマー』は地上へと運んできてくれた。『ミッドサマー』はかなり分かりやすく普遍的なことを描いているので「アートホラー映画」入門にはもってこいだ。もし『ミッドサマー』を観て、自分と重ね合わせて面白いと思えた人がいたら、これを機に「アートホラー映画」の世界にも足を運んでみてほしい。その道は(とんでもなく)険しいと思うが、その先にきっと面白い作品が待っているはずだ。