『わたしは光をにぎっている』、言葉にするのが野暮になるくらい心にずん、と沁みたけど、劇中で"形あるものはいつか壊れるけど、言葉は残り続ける。"とあったのでぼちぼち感想を書いていこうと思う。

まず、めちゃくちゃ好きだ!台詞を俳優ではなく風景に言わせる画の綺麗さ、説明ではなく心情を並べるモノローグ、変わっていく町を観せる今しか撮れない映像、「翔べない時代の魔女の宅急便」という監督のキャッチコピーがすとんと落ちる。

監督の全作品一貫したテーマとして「喪失とそれからの一歩」があると思っていて、各作品の中の静かな別れと再生には宮本輝の小説のような熱さを感じる。

変わっていくもの、変わらないもの、変えられてしまうもの、それらに翻弄される人、受け入れる人、守ろうとする人、それぞれをゆっくりと、丁寧に描いていて涙が出た。上映後に監督が言っていた「内側と外側の中間地点にあるもの」の多さが豊かさに繋がるという言葉に深く頷いた。

それと同時に、この映画はフィクションパートとドキュメンタリーパートが入り乱れる瞬間が多々あって、内側と外側の中間地点になり得る映画になっている。この映画は映画を観るだけではなく、それぞれが持っているある種の故郷、それぞれの伸光湯と照らし合わせて初めて完成する映画だと思った。

前作の『四月の永い夢』で”人生とは失い続けるもの”という言葉があった。大切なものを失うことは、それを大切だと思う時間が長いほどつらいものだけど、失ってしまったあと必ず大切だと思えるものにまた出会えるという強い希望を教えてくれる。

そのメッセージを包み込むようにカネコアヤノの主題歌が最後に流れる。"たくさん抱えていたい 隙間からこぼれ落ちないようにするのは苦しいね だから光の方へ できるだけ光の方へ"というフレーズは、中川監督が全作品を通して伝えたいことを簡単な言葉で的確に表していると思う。

持ち味を残したまま社会派映画へと鋭く切り込んだ中川監督は本当に天才だと思う。本当に今しか撮れない映画だと思うし、劇場で観るという行為がこの映画の一員になるという、流転する万物の中で現在という瞬間を切り取った傑作。こういうのが邦画の一番の強みだし、希望だと思う。おすすめです!(宇多丸)

 

個人的に思ったところ

・中川監督は食事シーンが常に丁寧

・フィックスの引きで撮る画はエドワード・ヤン小津安二郎っぽさがあり、個人的に大好物

松本穂香かわいい

・銭湯が舞台なの嬉しい

・ジャックアンドベティが出てきてびっくり